その「笑み」を想う

その「笑み」を想う

東京芸術大学 特任教授 

井上 隆史

瀋敬東(shenjingdong)の筆先から現れた人民解放軍の兵士たちは、皆ほほえんでいる。

人民解放軍という厳めしい語感は、この柔らかな「笑み」とはそぐわないと思うかもしれないが、その適度な違和感がまたいいのだ。「改革開放」とともに頻りに聞こえ始めた「社会主義“的”市場経済」と同じ匂いがある。1991年南京芸術学院を卒業した瀋敬東は人民解放軍南京軍区政治局に配属され、舞台芸術を手掛けることになった。解放軍は「芸術の兵士」も創り出していた。改革開放の柔らかな風が吹き渡っていた頃だ。

その改革開放の道を歩む中国を、私はNHKのプロデューサーとして見つめていた。激しいうねりの中、時々刻々変化していく街の貌、波のように押し寄せる自転車の群れにも、改革開放というどこか明るい、弾むような言葉の響きが重なり聞こえるそんな時代だった。そして、1994年から1995年にかけて、「中国・12億人の改革開放」と銘打ったドキュメンタリーシリーズを制作することになった。

改革開放には光もあれば影もある。この中国という国は多角的・立体的に眺めなければその本質を見誤るのだと自戒しながら、2年間にわたって改革開放の姿を追った。あの高揚感が懐かしい。

「総設計師鄧小平」に始まり、再開発の進む街の閃光と混沌を見つめた「上海ドリーム」、内陸四川省の寒村から沿岸部の工場で働くために一人旅立つ、いたいけな少女の姿を追った「出稼ぎ少女の旅路」、法治主義ではなく人治主義といわれ、過渡期にあった中国の法社会に向き合う人々の葛藤を見つめた「正義は人民法院にあり」、あの痩せた黄色い大地にしがみついて生きる農民の困苦とその境涯からの脱出行を追った「さらば黄土の大地」は、あまりの貧しさと悲しみに編集室で涙を流してしまった。

そんなシリーズの一つとして、私たちは「今日的人民解放軍」というタイトルをつけて、解放軍の新兵を追うことにした。「今日的」という枕言葉に新しい視座を置いたつもりだった。総参謀部、総政治部の協力を得て、一人の若い兵士が主人公になった。上官に叱られながら訓練に励む不器用な新兵が、一人の18歳の少年に戻った時に見せる笑顔と同じ「笑み」を、今この画集のそこかしこに見つけることができる。

毎月一回の放送が佳境に入った1995年のある日、私のプロジェクトルームのドアをノックする人がいた。プロジェクトの女性スタッフにドアを開けさせると、「あっ」という驚きの声が聞こえて、しばらくして彼女が私のデスクに駆け寄ってきた。「入り口に貼ってあるポスターが欲しいと、余分があれば是非にと。それがあの、あの、健さんなんです。高倉健さん!」

驚いて私が廊下に出ると、長く続く廊下を、ピンと背筋を伸ばして急ぎ足で歩き去っていく男性の姿が見えた。スタジオに行く通りがかりに、ポスターが健さんの目に留まったようだ。

健さんが気に入ったのは、私たちの「12億人の改革開放」シリーズのポスターだった。薄暮の中、上海に完成したばかりの「東方明珠」タワーに向かって肩を並べる若い男女の後ろ姿に何かそそるものがあって、私はポスターのデザインに採用したのだった。明るい色のスカートを穿いた女性の傍らで、そっと腰に手を添えるのは解放軍の濃緑の軍服を着た若い兵士だった。

革命根拠地延安の土の匂いを纏ったかのような「人民解放軍」の若い兵士とその恋人、新時代のシンボルタワーとの絶妙の距離感が時代の空気を見事に捉えていた。

後ろ姿で立つその貌(かお)は見えないが、きっといい「笑み」が浮かんでいたに違いない。

このポスターの、浮かれてはいない、滲みだすような幸せ感、その素朴さとまだ見ぬ未来への高揚感が私は好きだった。それが改革開放だと思った。そう、このポスターに満ちた移り行く時代の風が、高倉健の心の糸を弾いたのかもしれない。

高倉健は、背中で演技のできる数少ない役者だった。スクリーンの中で、いつも寡黙な役の多い健さんが、時折見せる控えめな、慎ましやかな「笑み」が好きだった。

この「笑み」は、瀋敬東の世界にも流れている。それがキャンバスの中の軍服と交差して、いい味わいを醸しているのだと、私は想う。

この「笑み」とは何だろう?呵々大笑するのではなく、忍び笑いでもない。その顔に漂う「笑み」に、何よりも深い意を感ずるのは何故だろう。

京都太秦広隆寺の半跏思惟像をご存じだろうか?口元に湛える微かな笑み、千年以上の歳月を経た木目が、温かく貌を覆う。ドイツの哲学者カール・ヤスパースは、この像を「人間実存の最高の姿」と評した。日本の国宝指定第一号でもある。

仏教の伝来と時を同じくして、朝鮮半島の百済からの招来仏だという説が有力だそうだが、大陸からの渡来人秦氏の氏寺であり、聖徳太子信仰の寺に端座する姿のあまりの美しさに嘆息した人も多いと思う。この半跏思惟像は弥勒菩薩だとされるが、その口元の、有るか無きかの、仄かな「笑み」に人々は魅かれる。仏陀の入滅後56億7千万年後の、遠い、遠い、未来世界に下生して、平穏な世界を現出させ、衆生を救済するという弥勒の深い愛が滲み出ている。

この不思議な「笑み」は、シルクロードの要衝、ガンダーラの仏像に、そしてアフガニスタンのあのハッダの仏像にも、認めることができる。しかし、優しい貌の仏たちに悲劇が襲う。1979年のソ連軍侵攻から始まった激しい戦乱の中で、ハッダの多くの「笑み」が爆撃で、ロケット弾で、消えた。

改革開放の衣を纏った瀋敬東の「笑み」は、幸福を増幅させる明度を持った「笑み」だ。そして今、「弥勒仏」中国式に布袋の姿をして豊かな笑いを弾けさせる。

瀋敬東の創り出す新たな世界で、弥勒もまた小王子「星の王子さま」とともに、宇宙に向かって緩やかに飛翔を始めた。遠い宇宙の、その先に56億7千万年後の、弥勒の究極の「笑み」が待っているかもしれない。


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